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豊岡簡易裁判所 昭和36年(ろ)21号 判決 1963年11月29日

被告人 田中豊助

明四一・一二・一五生 農業

主文

被告人は無罪。

理由

(本件公訴事実の要旨)

被告人は、昭和三五年一一月二〇日施行の衆議院議員総選挙にさいし、兵庫県第五区の選挙人であつたが、同月中旬ごろ豊岡市吉井六一一番地の一の被告人自宅において、同選挙区から立候補した佐々木良作の選挙運動者である山添銀之助から、同候補者に当選を得させる目的のもとに、同候補者のための投票ならびに投票とりまとめ等の選挙運動を依頼され、その報酬等として供与されるものであることを知りながら、現金一、五〇〇円の供与を受けたものである。

(無罪の理由)

要するに、被告人の犯意の点について証明が十分でないということであるが、これを簡単に説明するとつぎのとおりである。

昭和三五年一一月二〇日施行の衆議院議員総選挙にさいし、被告人が兵庫県第五区の選挙人であつたこと、同月一四、五日ごろ被告人自宅において被告人が同選挙区から立候補した佐々木良作候補の選挙運動者である山添銀之助から、右選挙に関し、現金一、五〇〇円を受取つたこと、はいずれも被告人において争わないところであり、証明も十分である。

ところで、選挙人が選挙運動のためにこれから使おうとしまたはすでに使つた費用について、事前または事後にそれに充当すべき趣旨で他の者から金銭を受取つたばあい、右選挙運動がその選挙人の意思と判断にもとづきその責任において同人自身の運動として行なわれようとしまたは行なわれたものであれば、これに要する費用は、その支出について候補者または出納責任者と意思を通じていないかぎり、同人自身が出捐すべきで他から援助をうけることができず、前記授受にかかる金銭は、原則として、候補者に当選を得させる目的をもつてまたは選挙運動をしたことにたいする報酬とする目的をもつて供与されたものと理解することができ、たとえそれが社会通念上一般に実費弁償の性質を有するものであつても、右授受は公職選挙法第二二一条第一項の禁止に触れる違法なものといわなければならない。

しかし、選挙人が選挙運動のためある具体的な特定の行為をしようとしまたはしたばあい、その行為が他の者の具体的な指図にもとづくもので、諸般の事情により、本来右他の者がみずからなすべきをその者の責任のもとに右選挙人が代行する(した)関係にあるとみることができ、したがつてまた同時に、これに要する費用も本来右他の者が出捐し支払うべきであるのにたまたま右選挙人がその者に代つて支払おうとしまた支払つたとみることができる関係にあるときは、たとえ右選挙人が平素選挙運動に従事しており選挙運動者としての立場上前記の特定の行為に出、しかも該費用の支出について候補者または出納責任者と意思を通じていないばあいであつても、右他の者と選挙人とのあいだで右費用にあてるべき金銭を授受すること自体は、それが実費の範囲にとどまる以上、事前においては供与性を欠き、事後においては報酬性を欠き、公職選挙法第二二一条第一項第五号に該当するばあいを除き、同項各号の構成要件に該当しないというべきである。

本件において証拠を検討するに、被告人の当公判廷における供述、証人中地奥造および同遠藤利男の各証言、証人山添銀之助の証言(第二回目)ならびに押収してある領収書(証)二通(昭和三七年押第一〇号の符号三、四)を綜合し、これらのみから判断すると、一応つぎの事実を認めることができると考えられる。すなわち、

山添は選挙運動本部の指示により一一月七日ごろ奈佐地区において候補者の個人演説会を開きたい予定であることを知り、その会場準備方を土肥と被告人に依頼した。被告人は山添から直接または土肥を通じて右依頼をうけ、会場の準備にあたつた。まず近くの奈佐中学校の係員と交渉して講堂を借りることとし、遠藤から木炭二俵を購入して(代金一、〇六〇円)自宅まで運ばせ、学校へ持参した。個人演説会当日この炭はいくらか余つたが、それは学校へ寄附の趣旨で置いてきた。部落などで学校の施設を借りたときは常にお礼としてお金を渡す慣例であつたので、こんどのばあいもそうしなければならないと考えていた。そして山添においてもこの程度の費用がいることは理解していると考えていた。このようなときに、一一月一四、五日ごろ山添から現金一、五〇〇円を渡された。そこで、被告人は同月一七日ごろ、この金で遠藤に前記木炭代一、〇六〇円を支払い、また学校へ五〇〇円の謝礼を払つた。

以上の事実を認めることができると考えられる。

もしこのとおりだとすると、全証拠によつて認められる山添と被告人の各選挙運動への関与の程度ならびに選挙運動での両者の関係をも考慮にいれることにより、つぎのように論じることができる。すなわち、山添がどういうつもりで被告人へ一、五〇〇円を渡したのかはともかくとして、また、個人演説会のための学校の施設の使用は一回かぎり無料であるべきであるが、右一、五〇〇円を受取つた被告人としては、無料で使用できる権利があるとは知らず、あるいはすくなくともあくまで無料で使用すべきであるとは考えず、被告人が山添の指図にしたがつてした。そしてその費用を被告人がみずから出捐することはいかに被告人が佐々木良作候補を支持し同候補者のための選挙運動に従事していたとしても性質上どうも納得のゆきがいところの前記個人演説会の会場準備のための費用にそのままあてるべきものとして、この一、五〇〇円を渡してくれるのだと考えたとしても、さしてふしぎなことではない。だから、被告人は当公判廷で述べているようにほんとうにそのような趣旨で渡してくれるものと思つてこの一、五〇〇円を受取つたのかもしれない。このような趣旨の授受であるならば、前述の一般論の後半のばあいに該当し、その「授」は公職選挙法第二二一条第一項第一号の構成要件をみたさないから、被告人が同項第四号所定の犯意を十分に有したとは認めがたい。

このように論じることができるのである。

一方、山添銀之助の検察官にたいする供述調書(昭和三五年一二月一四日付、同月一九日付のうち枚数の多い方、昭和三六年一月一八日付の四通)ならびに被告人の検察官および司法警察職員にたいする各供述調書を綜合し、これらのみから判断すれば、本件公訴事実を大筋において認めることができると考えることができる。

前者の証拠群と後者の証拠群のうち山添の分と被告人の分は前者のばあいと後者のばあいとであい反するところが多く、その部分についてはどちらの方が正しいのかという問題も生じるところ、後者にあつては前述の二通の領収書にふれることなく公訴事実の大筋を認めており、その点についての被告人の当公判廷における言分にかなりあいまいなところがあることからすると、前者のものには信を措きがたい感がしないでもないが、そうかといつて、前者の証拠群にあげた全部の証拠にもとづいてなされた前述の判断もかなり有力であり、後者の証拠群にこの判断を排斥するに足りるだけの信憑力があるとするだけの根拠も薄弱である(この点については、被告人の当公判廷における態度が、公訴事実を否定する面においてはいつかんしているけれど、被告人のかなり弱々とした性格を物語つているようであつて、このような弱々しい性格は捜査段階における供述調書の内容の信憑力を減少させるばあいもあり、本件においてもそうであつたのかもしれないと考え得ることを附言しておく)。

結局、本件公訴事実については、前者の証拠群にもとづく前述の判断と後者の証拠群による前述の判断といずれをとるべきかは決しがたく、犯罪の証明が十分でないとするよりほかがない。

よつて、刑事訴訟法第三三六条にしたがい無罪を言渡す。

(裁判官 岡本健)

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